東京での備忘録

日常生活で思ったこと、感じたことを書きとめようとブログを始めることにしました。観た映画や、読んだ本など、備忘録的に書き綴っていこうかと思います。

これは、ゲンドウの物語——『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を観た時点では、(これ、次作でいったいどうやって収拾付けるんだろう……?)と不安に感じていた。しかし、本作を観るとその不安感は雲散霧消、終わってみればこれ以上ないという締め括りだったと思う。 【ネタバレです。】

『これまでのヱヴァンゲリヲン新劇場版』+『シン・エヴァンゲリオン劇場版 冒頭12分10秒10コマ』

ゲンドウの物語

本作は新劇場版、そして、「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズの締め括りとなります。映画館で観て思ったのは、本作は碇ゲンドウの物語だということ。ゲンドウが主人公の碇シンジと対話し、気づき、そして列車から下車する。思えば、ゲンドウとシンジ、テレビ版でも旧劇場版でもこんなにきちんと対話してなかったからなぁ 。

冬月先生大活躍

本作では冬月コウゾウが大活躍。パリではバチカン条約違反の機体投入してヴィレと死闘を繰り広げてましたが、南極では遂に最前線に登場。無人艦2隻従えつつ戦艦エアレーズングを駆って戦うわけなんですが、操艦するときのポーズがかっこよく圧倒的な「強キャラ感」。対するヴィレは、あんなに大人数で操艦してるのに……。ヒトとしては作中最強キャラなんじゃないかな。ヴィレと袂を分かってからは、実質一人で機体建造してたんだろうし。

冬月先生の研究室は綾波ユイ真希波・マリ・イラストリアスを輩出し、それにゲンドウまで出入りしてたんだから、人類史に極めて大きな足跡を残している。このゼミがなければ人類滅亡してたかもしれないけど、ある意味ユイをめぐるゼミ内の人間関係が人類の危機の発端と言えるような気もする。ユイはサークルクラッシャーならぬ「ワールドクラッシャー」だ、なんて言辞もネットで見ましたが、言いえて妙。

 ユイさん、魔性の女過ぎませんかねぇ……。マリに後ろから抱きつかれても、ゲンドウ君は完全に無視してユイさんしか見てないし。シンジ君とは好対照。

マイナス宇宙は認識できない

ゲンドウを追って、シンジ君はマイナス宇宙というか裏宇宙に突入していくわけですが、ここで(マイナス宇宙なんてどうやって描くの……? 背景が真っ暗闇になるのか……?)と思っていたら、ヒトには認識できないからL.C.L.が知覚可能な情報に変換してくれるという。これは本作で一番なるほどと思った設定。こうすれば、戦いの舞台が特撮のセットだろうがミサトさん家のリビングだろうが何でもあり。この設定はすごいな。

みんなが救われていった

これは「救い」というのか「救済」というのか、はたまた「和解」というのか、いろいろ言い方ありそうですが、とにかくみんな下車していった。全てのキャラクターに救いがあってよかった。鈴原トウジ相田ケンスケはどうなったのか、加持リョウジはどうなったのか、葛城ミサトたち冷たすぎない、といった『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』時点で気になっていた点も解消。しかもジェットアローンまで!

レイとアスカとシンジ

テレビ版や旧劇場版とは全く異なる展開となった、綾波レイ式波・アスカ・ラングレーとシンジの関係性。レイでもアスカでもなく、マリ。そしてアスカはケンスケと。この結末にはけっこうびっくりしてしまって。1990年代だったら暴動が起きる(?)かもしれないけど、2010年代だから受け止められた感。でも、旧劇場版のラストと思しきアスカと邂逅して対話するシーンもあったから、旧劇場版の惣流も救われたと思う。

一方、トウジとヒカリは幸せそうでよかった。ケンスケが「意外だろ」っていうシーンがあって(そこまで意外か……?)と思ったんだけど、テレビ版に比べるとフラグの描写控えめだったか。それに、コドモの頃仲良かった異性と結ばれることなんて、現実にはなかなかない。ある意味当たり前の話ですが、それが明確に。オトナになるとはこういうことかも。幼年期の終わり

 大団円

渚カヲルの存在や式波の出自など、新劇場版全体にかかわる謎にも言及があり、全体的に丁寧な展開という印象。『Q』で印象的だったピアノや、シリーズ全体を通して度々登場してきたポータブルカセットプレーヤーについても説明が。マリについては、漫画版ではそれなりに明かされていましたが、本作でも冬月研究室のシーンでゲンドウ君やユイさんと登場。

 旧劇場版では全人類補完されシンジとアスカのアダムとイブエンドでしたが、本作ではヒトは個として残り、ユイによりゲンドウは救済され、全てのエヴァンゲリオンが……。観る前は(どうやって纏めるの?)と思っていたが、観終わってみれば(これしかないな)と思わせる展開だと思いました。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』のノリで、残り2作もエンタメ全振りで制作するという方法もあったと思うし、思わせぶりな台詞大量投下して謎散りばめたままにする方法もあったと思う。でも、そういう方法を採らないで、きちんと話に決着をつけた。エヴァの締め括りには相応しいと思いました。